趣味で、いろんな音楽を聴く。いろんなライブに行く。
プロでも、アマチュアでも、メジャーでも、インディーズでも、売れていても、売れていなくても、そんなのは関係なく、そんな安っぽいカテゴライズを飛び越えて、耳に引っかかる音楽というのがある。
そういう音楽に出会う度、皮膚の裏側がゾッとするような感覚になって、体じゅうの血流が一瞬だけとまる。
その感覚がうれしいし、それが生き甲斐だ。
こうすればカッコいいんでしょ、とあざとくパッケージされた音楽は、確かにカッコいいんだけど、それだけだ。
カッコいいものはこの世にいくらでもあるから代替可能だし、代替可能なものはマーケティングによって作られる。
なので、そもそも、この場合、"あなたである必要"がない。
だから、耳に引っかからない。
あなたにしか書けない言えない言葉や心を切り取って表現されたものだけがやっぱり誰かを振り向かせるし、わたしも振り向いちゃうし、とっても素敵だ。
でもってそれは人生で人体で内臓で、絶対誰にも奪えなくて、悲しいけど奪ってあげられもしないようなものだ。
残念なのは、演奏の上手いバンドや、歌の上手いシンガーソングライターはいっぱいいるのに、あなたでなければいけない理由があるミュージシャンはとても少ないことである。
そもそもわたしは、赤裸々な人が好きだ。
本当にカッコいいものは、本当は全然カッコよくなくて、みっともなくて、恥ずかしくて、生々しい。その形は人それぞれで、でも人それぞれ必ず抱えているもので、それが剥き出しで差し出されたとき、わたしはあなたと向き合うことができて、あなたもわたしと向き合うことができて、お互いに秘部をこっそり見せ合うようなオーガズムを感じる。
その瞬間だけは、普段の生活の中で、面倒くさがられるのが怖くて誰かに泣きつきたくても言い出せないことや、死ぬほど後悔していることや、恥ずかしくてずっと隠している漠然とした不安を、少しだけ、あなたと共有できている気がする。
あなたが真剣にあなたに向き合った結果生まれた音楽が、わたしをわたしと向かい合わせてくれる。
それが芸術なのかな?と偉そうに思ったりもする。
音楽の楽しみ方は人それぞれでもちろん良いけど、お金儲けを考えた時点で、そのミュージシャンはビジネスマンだよ。と、大槻ケンヂが言っていた。
わたしが自分の大事な時間を使ってyoutubeから、CDから、ライブハウスから出会いたいのは、いまのところビジネスマンではない。
ミュージシャンである。
少なくとも大槻ケンヂはミュージシャンだと思っている。