猫背歩行

普段言いたくても言えないことを、色々。

『恋』〜イケメンは要らねえ、後悔しない人生に恋したいワ〜

自分の命が終わる瞬間を、仮に突然死ではなく、たとえば病院のベッドで迎えることになったとして、そして最期に少しでも思考する余裕があったとしたら、たぶん、もっと生きたかったなーーーあれもこれも食べてみたかったなーーー海外にもっと行ってみたかったなぁーと少しだけ後悔しながら目を閉じて息を引き取るだろう。

 

だけど実際の私はといえば、飛び降りようとビルに登ったり自分のことを傷つけたり自分の服をビリビリに引き裂いたりしていた普通のメンヘラである。(さすがにこんな酷い状態だったのは何年も前のことだが)今だってなんだかどこかがいつもグラグラしていて不安で仕方ない。というのを隠し、会社員に擬態して生きる毎日を送っている。

 

 

だけど、健康診断の結果を見る時、毎年なんだか妙にドキドキするのだ。

先日、体調が悪く不整脈を疑われ病院に駆け込んだときは、私もしかして死ぬのかな(大袈裟)と思うと、突然とても寂しい気持ちになった。

 

もう、どっちやねん。という話である。

生きたいのか、死にたいのか、どっちやねんワレ。という話である。

 

生きていたいけど、辛い(と自分の心が認知する事象)ことが多すぎて「これ以上生きていく自信がない」ということを、ものすんごーーーくアホっぽく簡単に表現すると「死にたい」になる、のだと思う。

 

そもそも「今後生きていく自信の有無」について考えているあたり、死ぬほど生きたい人間であるということである。

 

この、生と死の、ねじれてねじれてねじれている矛盾に次ぐ矛盾が、自殺大国日本のリアルの一部であり、私にはどうしても生きづらさを抱える人たちの「生」に対する恋心に見えて仕方がないので、気が付いたら歌を作ってしまいました。

 

そんなの違う!ワシは本当に消えたいんだ!という方にはごめんなさい。でも恋ってそんな感じじゃないですか?もつれて、絡まって、どうしようもなくなったリボンを茫然と見つめるような、恋ってそんな感情を抱きしめてゆくことなのではないでしょうか。

 

 

私たちは今夜も恋する、このいのちの続きに。