猫背歩行

普段言いたくても言えないことを、色々。

正しさの在り処

理科の実験や、家庭科の調理実習が苦手だった。

みんなの前で先生が実験や調理の手順を説明する。おそらくそんなに難しいことはない。しかし、さあみんなも同じようにやってみなさい、と言われた途端、きちんと出来ているか、これでいいのか自信がなくて、分からなくて、とても不安だった。

わたしが合っていると思っていても、自分が正解だと思っていても、他人の目で見たら、ほんとはどこか間違っているかもしれない。

 

受験勉強やテスト勉強も、大変だった。

いま数学の勉強をしているけど、本当は英語をやるべきじゃないのか。そう思いテキストを閉じて英語の教科書を開く。しばらくしたら、やっぱり日本史を暗記するほうが時間がかかりそうだ、と不安になり、今度は日本史のノートを開く。

自分の選んだ手順や方法は、とても間違っている気がする。気持ちだけが焦って、集中できない。

 

 

自分の行動は間違っている、

わたしは未熟だ、という大前提が、わたしにはある。

だから、自分の行動も判断も、総じて信用できない。

疑うことをやめられない。

これでいいと、思えない。

根拠のない自信を持てる人が羨ましい。

 

社会に出たら、なんのエビデンスもない自己主張を振り回して襲ってくるとんでもない奴にチラホラ出会った。

明らかに未熟で穴だらけの自論を、堂々と掲げている。

 

根拠も証拠もなく、自分を自分で認めてあげられるその図々しさが、よくわからない。

だけど少し、羨ましかった。

 

 

今でも、この休日の過ごし方は合っていたのだろうか、正しかっただろうか、無駄な時間はなかっただろうかと、不安になる。

なにに基づいてそれが正しいと言えるのか、正しさの手本はどこにあるのかすら、ぼんやりしているのにもかかわらず、である。

教壇に先生はいない。

 

そんな日曜の夜。