手段と目的を履き違えてる人が多すぎる。
充実した人生を送るためにお金が必要なのであって、貯金をするために生きているわけではない。
愛情表現の最たるものとしてのセックスであって、イクためにヤるのではない。
貯金もあれば嬉しいし、イケればそれ以上のことはないのだけど、"そのため"にしているのではない。
わたしは今年に入って初めてちゃんと、自分で曲を作って自分で歌う、音楽活動を始めた。
InstagramやTwitterにも、"音楽活動してます!"と記載している。同じように音楽好きな人と繋がりたいし、自分の音楽が好きだと言ってくれる人に出会えたらすごく嬉しいな、と思ってのことである。
しかし最近は、"こうすればフォロワーがふえるよ"とか、"とにかくまずはSNS映えしそうな投稿をしたらいいよ"とか、説教くさく言ってくる大人に出会うことも増えた。
もう正直ウンザリである。
いくつか前の記事でも書いたが、わたしは「バンドマンはお金のことを考えて演奏した時点でビジネスマンである」という大槻ケンヂの発言が本当に本質をついていると思っている人間なのだ。
もちろん、数え切れないくらいプロアマ問わずミュージシャンがいるわけだから、まずは自分の存在に気づいてもらわないと何も始まらない。今のご時世、いい音楽→自然と世間が見つけてくれてヒット、という構図が古いのは確かだ。
本物や良いものは必ず陽の目を見ると信じてはいるけど、やはりある程度、自分を見つけてもらう努力はすべきだと思う。
ただ、急速にフォロワーが増えたりファンが増えたり話題になったりするものは、情報過多社会でも目立つ情報ということになるから、わかりやすいものや奇を衒ったものになりがちである。
自撮りの連投や、いかにもフォロワーが(ビジネスアカウント含め)増えそうなハッシュタグをつければ、頭や感性を使わなくても数字は稼げるらしい。
世間や社会の言うことをお利口に聞いて、ウケそうなことを従順にやっていれば、世の中の仕組みに乗っかって、それなりの人気者になれるかもしれない。
大好きで始めた音楽で、それっぽい人間に成り下がってもいいから有名になりたいのなら、そうしたらいい。
自分の本当をブチ殺して、外界の色々と帳尻を合わせるなんてこと、わたしはもう、そんなのは学校や社会で嫌というほど経験してきた。
そういうものを覆したくてギターを弾いている。
それっぽい説教をするオッサンは本質をしらない。
わたしはそれを知っている。
オッサンはそれっぽくしか生きられない。
オッサンのためにも、もっと歌わねば、と思うばかりである。