猫背歩行

普段言いたくても言えないことを、色々。

地獄を生きる

8月が終わりました。

夏休みが終わって、新学期が始まるので、学生さんの自殺が増える時期ですね。

今日は少しだけ、いつもより赤裸々なことを。

 

 

 

ザックリ言うとわたしは不安を感じやすい体質で、学校に行くのも、外出するのも、誰かと話すことも、全部が異様に怖くて、10代前半まで常に死にたい消えたいと思っていました。

過呼吸や吐き気など、身体症状を伴っていたので日常生活への支障も大きく、時間通りに登校したり授業に出たり、当たり前のようにみんなができることができなかったので、本当に人間として出来損ないなような気がして、自分自身に対する苛立ちや悲しさが抑えきれないときは自分で自分を殴ったり軽い自傷行為をすることでその気持ちを和らげていました。

人前で泣くのは悪いことだと思っていたので、誰にもSOSは出せませんでした。 

教室に入ると息ができないこと、夜寝る前に学校のことを考えると窒息しそうに胸が苦しくなること、外食ができないこと、旅行に行くと不安でパニックになり周囲に迷惑をかけること。そしてそれをまわりに不思議そうな目で見られること。

どこにいても毎日ジリジリ焼かれるような肩身の狭さを感じていて、とても居心地が悪かった。

 

色々ありましたが、不思議と一番苦しかったことは、"苦しいということを誰にも共感してもらえないこと"でした。

 

もうだめだ、もうだめだ、と乗り越えられるかどうかギリギリの夜に、同じような思いや痛みを知っている人のブログを読んだり、音楽を聴くことで、孤独感は少なくとも和らいだし、そのおかげでなんとか朝を迎えていました。

 この気持ちを理解してくれる人がほんの少しでもいるのかもしれない、ということだけが希望でしたし、そうやって何度も生き伸ばしたりして。

 

 

今でも完全に克服したわけではないですが、薬を服用しながら、とてもフツウに生活していますし楽しいことも勿論あります。

恐怖を感じるポイントがズレているので、理解されないことは今でもよくあります。

それでも、大人になっていろんなコミュニティや社会の仕組みが少しずつ把握できるようになったことで、ほんとうに少しずつですが、生きやすくなってきたのは間違いありません。

 

今は、昔できなかったことが余裕でできるようになったりしている自分が面白いです。

必死に生き伸ばしてきてよかった。

 

過去の自分は、誰かの内面やデリケートな部分を覗き見することで、"ひとりじゃない"と安心できていた気がするので、同じような感覚の人がいれば、、、と今回このような記事を書いてみました。

 

リスカ画像が今でもよく出回り続けるのも、リスカを見せたい子もいるし、それを見て何故だか安心してしまう子もいて実は需要と供給が一致しているからです。

 

もちろんそれぞれの弱いところを見せ合って、生き伸ばせるなら絶対そのほうがいい。わたしの人生が誰かの生き伸ばしの材料になるなら、いくらでも切り売りするし、自分で言うのもなんだけどそれなりの地獄をみてきたので、それがなにかの役に立てばいいなと素直に思っています。でもリスカはどうしても跡が残ってしまうので、切るものをせめて髪の毛とか、そのへんの紙とか、爪とか、後々どうとでもなりそうなやつに変えてみるのはどうかな?と個人的には思っています。

 

とにかく、しゃーなしでも、かっこ悪くても、生きていればとりあえずちょっとずつ自分自身にも、傷つくことにも慣れてきて、思いのほか生きやすくなったりもするので大丈夫ですよ。今はごまかしごまかし生き伸ばせたらそれでいいんじゃないでしょうか。

 

そもそも、学校に行けないから、コミュニケーションがうまく取れないから、人間関係をうまく構築できないから、就職できないからとか就活失敗したからとか、そんなことであなたの価値は測れないので安心してください。

 

 

 

こういう話をすると、暗すぎるとか、ネガティブこそ崇高みたいなのやめろとか、そんな見当違いなことを言われる可能性もあるし、まあ実際言われたこともあるんですが、でもそれってわたしの言葉は届かなくてもいい奴らにも届くくらいのデカさで鳴ってるってわけだから、届くべき人に届いてねって感じです。