数年前、わたしはロリィタファッションブランド(わかりやすく言えば、ちょっと違うけどまぁゴスロリ)のショップ店員だった。
フリッフリのワンピを着て出勤する私に、『もっと似合うカッコあるのにあんたはなんでそんなんばっかり着るんや』とよくオカンが言ってたのを覚えている。
いやいや、
似合ってなくて何が悪いねん。
そもそも、ゴスロリが似合う女なんてなかなかいないのである。そんなことはわかっているけど、それでも私たち愛好家はトータルコーデに10万近くお金をかけて、休日にはアメ村やライブハウスに繰り出したものである。それがとてもとても楽しかった。
似合ってるか似合ってないかなんて、わたしたちにとってそんなに重要じゃなかった。むしろ、好きな服に袖を通せているかどうか。ぶっちゃけ私も似合っていなかったし、一緒に店で働いていたスタッフたちもそんなに似合ってなかった笑(1人だけ、140センチくらいの小柄で童顔な先輩は少し似合っていた気がするけど)。
今は、色々な服が着てみたくてロリィタをあがったものの、バッチリ決めて街を闊歩するロリィタちゃんたちを見ると胸が熱くなる。もちろんみんな全然似合ってない。服に着られてる。でもええやん、と思う。モテとか男ウケとか抜け感とか一切気にせず、自分の[好き]だけを貫ける姿勢がとてつもなくロックでパンクだ。
常識的であることが、自分に嘘をつくということなら、華美な服装で街を歩く彼女たちは非常識なのかもしれないけど。
いろんなことをごまかしながら常識的でクソつまんない大人になるより、ずっと素敵だ。
ずっとそのままでいてね。
そう言いたくなる。